障害者が障害者らしく生きるには

f:id:hototogisu1chang:20181114032205p:plain 障害者には目に見える障害と目に見えない障害がある。それを健常者が何人理解しているであろう。私には関係がないという無関心な人が大勢いるのではなかろうか。それほど障害者には一般社会人から見捨てられているのだ。だから障害者を見てもただ黙ってみないふりをしている人が大勢いる。それが日本人の社会だ。ただ今点字ブロックが引かれているがただそれだけで何の意味もない。そしてなぜか日本人は障害者にどうしても声をかけられない。何も遠慮をする必要はどこにもないのに......。そこが日本社会は欧米と比べると非常に遅れているところだ。そしてまたそれだから障害者は障害者の世界に閉じこもっている。障害者はもっともっと健常者に近づかなければいけない。それを社会人が避けているのだろうか。いつの間にか目に見えない壁のようなものが存在する。なぜそうなってしまったのであろう。私にはそれがとても理解できない。一対一でなぜ付き合えないのであろうか。社会人はなかなか仲間に入れてくれない。とても寂しく辛いことだ。しかし社会人にはその障害者すら知らない人が大勢いるのではなかろうか!まるで社会の中で障害者の居場所がないではないか。だから小さい作業所で極端に細々と生きているのだ。それをどれだけの社会人が知っているであろうか?また障害者の世界で働く社員(社会人)も大変だ。障害者と一緒に働きまた自分の仕事もすいなければならない。そうした人はどういう目で障害者を見ているのであろうか。手がかかるだろうと思っているであろう。体は一人前でも心はまだまだ子供で社会人とは極端に知識や知恵が遅れている。そうした所が相手だから大変な仕事だ。障害者の面倒を見るということは一筋縄ではいかない。自分も見ているとそれがよくわかる。知恵や知識が極端に遅れているから何を言い出すかわからない。それにもいちいち対応をしなければいけない。大変な仕事だ。それを彼らはどのくらいわかっているのだろうか?私も一障害者だがその所をついつい考えてしまう。何とか自分たちで知識や知恵を身に着く得るにはどうすればいいのだろう。それには何年もの時間がいる。しかし社会人と分裂してしまっている彼らには世の中の常識やルールを知るわけもない。だからそこを社会人に私は問いたいのだ。なるべく声をかけてほしい。そして障害者との付き合い方を知ってもらいたい。私はいつもそういったところを考えている。目に見えない壁などなくして共有して生きて行ってほしい。そして障害者との付き合い方をしってほしい。何とか両社で協力し合って生きる世の中は作れないものなのであろうか。そうして生きることを教えてほしいのである。障害者は視野が狭くまた中には視野さえ知らない子もたくさんいる。だからこそ社会人が障碍者に生きることを時間をかけて教えてほしいのだ。私はそういった世の中を求めたい。