絶望と希望

f:id:hototogisu1chang:20181004201127j:plain    私は一障害者です。このごろよく思うのですが社会人についてですがみんな障害者たちは自分たちの心(情緒)というものが全然ありません。今のままでは我々障害者は今のままでしか生きられないとしか思えてなれないのです。なぜかというとみんなは今のままで満足しているようなあるいはもう社会へは出られないのではないかとしか思えないのです。社会に対する絶望感とかあるいは悔しさがまったく感じられないのです。障害者だっていつかは必ず社会を見返せられるのだという気持ちがまったく感じられないのです。むしろみんなは希望感よりも絶望感のほうが強く思われます。みんながみんなそのように思えてなりません。わたしはそれが残念でたまりません。私の障害は高次脳機能障害と言って健常者と障害者のはざまにある障害です。ですから灰色な障害者なのです。今このような障害が今多く増えているようです。みんながみんな障害者ではありますけれどもいつか私は自分の障害を社会に見返してやるぞという気持ちが強くなればといつも思っています。そうすれば必ず社会は我々障害者に顔を向けてくれるのではないかと思います。ダウン症自閉症精神障害、その他いろいろ障害にはたくさんありますが、そういう彼らが漠然と作業所に行って漠然と仕事をするだけでは全くダメです。そこに私はみんなが気づいてほしいところなのです。そういう気持ちを持てば必ず悔しさがわいてきて必ず絶望感が消えて希望感へとつながるのではないかと思うのです。正直言って私は体の体調が思わしくなく作業所へは全く言っていません。ですからこんな偉そうなことは言えませんが私はみんなに己の心の中にある情緒というものを育ててほしいのです。そして情緒とはどういうことかということをみんなで話し合ってほしいといつも思っています。それをみんなで育てて必ず社会に我々障害者を見返す気持ちを多く持ってほしいのです。すごいなあ!という気持ちを社会人に対して持たせてほしいのです。何年かかってもいいです。次の世代までかかってもいいではありませんか。そういう心がけで生き貫いてほしいのが今の私の気持ちです。なんとかみんなに今の自分の気持ちが通じたらどんなにいいかわかりません。そういう希望を持たせるのが我々障害者ではないでしょうか。