張本さんの言葉  続き

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 昨日張本さんの話を書きましたが、言葉が足りなかったならあしからず。  結局は自分自身の問題なのですよね。  人がああ言ったからああだのこうだのと我々第三者が言える立場じゃないのですですよね。  つまり張本さんは過去色々な経験や体験を通して話されていることでその業績は素晴らしいものです。  そうした業績のもとに己の言葉を語っているのですから人生の重みを感じます。  今回は批判の声が多かったですが、古いだの新しいだのと我々は何も言えないと思います。  だって張本さんと同じ経験や体験を通して同じような業績を積み上げた人間ではないからです。  現代人は新しいモノ好きです。  新しいものに、あるいは言葉に振り回されます。  つまり我々現代人は新しい言葉の誘惑に弱いということです。  本当の大人なら我々はもっとしかっりとした考え方で見まがえると思います。  きちんとした言葉で相手の話を受け入れられるはずだからです。  我々現代に生きる人間として本当の大人なら張本さんの意見をもっともっと受け入れられるはずです。  そこに現代人の欠点があるのではないでしょうか。  今の我々が張本さんの過去の業績に勝てるわけがありません。  選手起用だって監督の言うことを聞いて動くしかありません。  監督は高校野球で選手として出られますか?  出られないでしょう。  選手が監督の言うことをよく聞いてバッターとして、ピッチャーとして動くのです。  出さないからおかしいと確かに張本さんは言いました。  私も出てほしかったです。  でも私は張本さんに対して張本さんを批判はしません。  張本さんは自部だったらとしていったからです。  おそらく張本さん自身が大船渡の監督だったらかなり考えたのではなかったのではないでしょうか。  おそらく張本さんだから一球だけでもいいから先発させて投げてこいといったかもしれません。  選手がパンク寸前でもその限界と闘わせたいからです。  そして体に野球の厳しさを教えたかったかもしれません。  張本さんだって一人の人間です。  選手の疲れは知っているはずです。  でもそこに試練があるのではないでしょうか。  その試練を追い越させるために話されたのだと思います。  また選手はそれにこたえなければなりません。  勝負ですから勝か負けか二つに一つです。  おそらく無理はさせなかったと張本さんだってわかっていたはずです。  それを全部分かったうえでテレビでああいった言葉を発したのではないでしょうか。  そこのところを視聴者は組まないといけないのではないでしょうか。