いじめられた子の賛歌

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    いじめられて悔しくないのか!!

 今の世の中はいじめたり虐待されたりの殺伐とした世の中である。

 一人の人間としての人権は今の世の中はどこへ行ったのだろう。  現代の世は、今の世の中が悲しくて悲しくてとてもやりきれない。  特に今のいじめられた子に私は応援したい。  やられたらやり返すぐらいの気持ちを持て。  そして相手を戒めろ。  そして相手を悪の誘惑から救え。  死ねと言われ、バカヤロー!と言われてただ黙っているな。  我慢いなくていていいんだ。  やられたらやり返せ。  それは誰もが認めいるからだ。  ただ誤解はするな。  いじめられた子は忍耐しろ。      そしてその報復は神様がやってくれるからお前たちは忍耐しろ。  そして生きろ。

生きて生きて生きろ。  死んだらすべてが終わりだ。  わかるか。  そのお前たちの苦しみが次の世代に分からないからだ。  いじめられたお前が自ら憎しみをもって報復したらすべてがおしまいになるからだ。  優しく言えば憎しみは悔いを残すかからだ。  お前たちはいじめられたのだからそういう世の中を無くさなければならない使命があるのだ。  現代の人間はほとんどが見て見ぬふりをする。  私にはかかわりがないといって、知らぬ顔をする。  それが今の世の赤である。  今の子供たちよ。  学校の教師などは当てにするな。  自分たちで立ち上がりいじめをなくすのだ。  そういう使命がお前たちにはあるのだ。  子よ!、お前がいじめられても人を憎むな。  お前に敵対する人を愛せよ。  無視されても、だまされても、殴られても、手や足を折られたも忍耐しろ。  嘘偽りを言われても忍耐せよ。  いじめられた子よ!  お前たちにはその痛みや苦しみがわかっている。  その痛みを教えられるのはお前たちにしかできない。  いじめられて、金をせびられて言われる通りに絶対するな。  相手を戒める心を持て。  そうすれば必ずお前の心が相手に届く。   この前いじめてごめんな!  その時が必ずやってくる。  その時が来るまで、いじめられた子よ、忍耐せよ。   人からバカにされても、一人苦しまず、大勢の人に訴えろ。  そして生きろ。生きて生きて!!   お前たちに言う、いじめられた子よ、いじめられた立場の人の心が分かれと。  それをいじめた子の心に必ず訴えろ。  お前たちいじめられた子にはそういう使命があるのだ。  

 

 そして人々が互いに愛し仕合い、平和の世の中を作れ。  それがお前たちいじめられた子の使命なのだ。

戦争を語り継ぐ難しさ

f:id:hototogisu1chang:20190831023443j:plain  戦争を知らない戦後派の人間はどのように戦争体験者の言葉を語り継げばいいのでしょうか。  私の母親は昭和一桁です。  私の母親は戦争中のことをあまり語りたくありません。  戦前・戦中・戦後を生き抜いた母親です。  今はもうすぐ九十近いです。  子供のころ聞かされたのは終戦が近いころの話でした。  空襲はあっても空襲警報が正しくなりません。  つまり空襲警報が鳴り終えて外に出たらB29が飛んできて空襲を受けたそうです。  戦争中は空襲警報が鳴り次第防空壕に入って、頭巾をかぶって頭を抱えていたそうです。  その防空壕の中の人は爆撃で生き埋めになり大勢の人がなくなったそうです。  私の母は四国出身でしたが激しい空襲にあったそうです。  おそらくそれは日本国中あったと思います。  しかし当時の新聞はそういうことを書かなかったそうです。  むしろ敵国を少し爆撃できたことだけを伝えていたそうです。  そうです。  当時の新聞は事実を書かずに嘘ばかりを書いて「ここがやられた。」という記事を書かなかったそうです。  やはり戦争を体験した母の言葉には重みがあります。  そして終戦が来て物のない時代をよく話してくれました。  闇市のことなどをです。  やっとの思いで食料を調達しても大家族で十人以上いたはずです。  食べられるのはほんのわずかでした。  食べられることが出来てもわずかしか食べられません。  大家族なので仕方がなかったのでしょう。  みんなお腹がすごくすいていたことでしょう。  戦争中はあっちへ逃げたりこっちへ逃げたりの連続でしたと母は辛そうに話してくれました。  私にはその時代はどうっだたのか想像すらできません。  まだ子供だったのでだっまって戦争の話を聞くだけでした。  そしていつも戦争の話は絶対にしたくないといつも言っていました。  それほど戦争は悲惨なものだったのでしょう。  そして昭和二十年前後は日本は何もかもない時代でした。  明日を考える暇などないと言っていました。  今日を生きることで精いっぱいだったといつも言っていました。  一度戦争の話をするとその後はしばらく黙っていました。  それほど戦争とは悲惨なものだったのでしょう。  

 

 これからは戦後派の人間で埋まるでしょう。  こうした戦争をどのように語ればいいのかわからないです。  戦争を語り継ぐとはそれほど難しいことなのです。  戦後派の人間が戦争体験を語り継ぐということはどこかで誤ったことをも語るのではないかと私は不安になります。  そして戦後は人間は現実に体験をしなかったことで次の世代に語り継ぐということは軽く「そうだったのか。」と軽く見られるということです。  それではどのようにすればいいのか私にはわかりません。  私たちは戦争体験者でなく聞いたことをありのままに語っても単純に取られるのが怖いのです。  戦争は人間同士の殺し合いです。  今の日本はとても平和ですがどこでどうなるかわかりません。  あの沖縄決戦のひめゆりの塔東京大空襲などを我々はどう伝えればいいのでしょうか。  戦後派の私にはそれを生々しく伝えることは恐らくできないでしょう。  でも、それでも伝えなければいけないのが我々の務めなのです。  それから母は昔の軍人は終戦とともにみんな隠れてしまったと言っています。  つまり、憲兵や秘密警察などが自分たち勝手に一般の人間をやりたい放題に拷問したりしていたということです。  今度はそういった軍隊がやられるのではないかと恐れたからでしょう。  それが昔の軍人の姿だったのでしょう。  だから特に日本の軍隊は朝鮮半島から中国をさんざん慰安婦とか、外地で好き放題にしていたのではないかと思います。  そしてインパールとか、ガダルカナルで大勢の人間が激しい戦火の中沢山の人間が死んだのだと思います。  そして昔の軍部は終戦とともに逃げてしまったのでその中国や朝鮮半島の人間に戦後処理をしていないということです。  だから最近になって韓国や中国が日本人を忌み嫌っているのでしょう。  それを今の戦後派の人間が何とかして出来るところまで戦後処理に取り掛かっているのではないでしょうか。  

 

私は思います。これからの日本は日米同盟で何とか平和に暮らせています。たとえ米国の傘下にあってもこれだけ平和に暮らせている国は内でしょう。  例えば外国に目を向ければよくわかります。  バルカン半島の方では民族戦争やら内紛やテロで乱れています。  それに比べると日本はなんと平和過ぎるぐらいに平和です。  しかし中国や韓国、北朝鮮などを見たらどうでしょう。  中国や北朝鮮などは原爆や水爆の実験をやっています。  近くで戦争の声が私には聞こえてきます。  中国などが一番恐れているのは日本がいつ戦争の武器を作り、また昔のようになるのではないかとそれをとても恐れています。  戦後派の我々にはまったくそれがわかりません。  何かあればすぐにアメリカ、アメリカと言ってアメリカに助けてもらっているからです。  自分の国だけは自分で守れという意見も出ているくらいです。  だから憲法九条があっても、非核三原則があっても私にはとても不安です。  日本には自衛隊が存在しています。  今は日本国内で自然災害があって自衛隊が出て行って助けてくれていますが、もし外国が日本に攻めてくるようなことがあれば恐らく急変するのではないでしょうか。  そこがとても不安です。   

  

 もし外国が攻めてくるようなことがあれば自衛隊は一気に様変わりするのではないでしょうか。  それは軍国主義復活につながるからです。  米国に助けてもらっている日本ですが米国でさえ限界があるのではないかと思うからです。  もしそうなったら日本の平和はどこに行ってしまうのでしょうか。  その辺を恐らく中国などは恐れているのではないかと思う点です。  本当の戦争をしrないからこそ、そういう恐れがあるのです。  もし本当にそうなったら日本は原爆を作ったりすると思います。  そうなったらおしまいです。  今我々戦後派の人間に問われているのは平和をいかに維持し続けることだと思います。  平和ボケしている日本だし、あるいは国内では児童虐待とか、自殺とか、いじめが増えているではありませんか。  そういった所から火は上るのではないでしょうか。  火の気がない所からいつ変わるかわかりません。  そうしなければ大変なことになるでしょう。  本当の平和とは何かを今一度見つめなおす時が今来ているのではないでしょうか。  戦争は絶対してはいけないと日本は世界中に訴え続けなくてはいけないともいます。

政治の世界にれいわの重度の障害者が入って

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 れいわ新撰組が国会に入り国会はどう動くか見ものだと思う。  国会はこれまで障害者のことをあまり公の場で議論してこなかった。  そこに二人の障害者が入ってきた。  多くの国会議員がどのような働きをするか見ものだ。  私も障害者の一人でいつも今の国会は上げ足を取るような議論ばかりしてこなかった。  それでテレビやラジオの国会中継があまり面白くなかった。  国外はもちろんだが国内にもいろいろな問題が山積している。  それを障害者の議員が入ってきていろんな面で動かないと嘘になる。  れいわの二人の議論の仕方が見ものになってくるし、与党、政府もそれに答えなければならない。  今の国会議員は自分が選挙で当選することばかり考えている。  それを前提に国会を動かしていると私は思う。  国内の問題をかたずけられず、国外のことに目を向けられているが、これからの国会は今こそ変化してもおかしくない。  今までの国会は健常者を中心に動いてきた。  国会に障害者が入ってからようやくバリアフリーなど、スロープなどを遅くなり税金を使っている。  他の国会議員は障害者が入ったことによってどのように変わるかが面白いと思う。  それに変化がなければ私はおかしいと思う。  山本太郎氏は確かに落選したが、それでも二議席とったではないか。  そこに大きな意義があると思う。  障害者を無視できなくなるからだ。  またNHKもまた不思議なことをやっている。  それは丸山入れたことだ。  彼の戦争の言葉は典型的な戦争を知らない議員の言葉に私は受け止めた。  私にはNHKがなぜ入れたのか全く分からない。  いったい彼らは何を考えているのだろうか。  戦後派の人間が増える中果たして戦争というものを知っている人間は何人いるだろう。  そうした人がこれから国を動かすことになる。  その辺に私は違和感を感じる。  これからの国会議員はそれをよく知らなければならないしそれが使命だと思う。  日本の国は今「先進国。」と言われているが本当に「先進国。」なんだろうか。  こうした中若い国会議員はどのように政治を動かしていくのか少し問題が残ると私は思う。  真の平和とは何かを今一度見直す時に来ているのではないか。  れいわがこのような討論もできたらいいなと私は思います。  そして固まっている障害者を何とか社会にはばたかせたい。  今世界は大きく動いている。  それに置いていかれるようではまだまだ発展途上国と同じではなかろうか。   今日本は世界が注目していると思う。  国内の問題、国外の問題にだ。  一番重要なのはなぜ安倍総理が外国訪問をするかである。  肝心の北朝鮮を避けているように思える。  拉致被害者はそこに目を置いて必死に願っているではないか。  それにこたえるのが内閣総理大臣ではなかろうか。  第一に北朝鮮を一刻も早く訪問してほしい。  そして解決の糸口を開いてもらいたい。   もちろん障害者の問題も同じだ。  そのように国内の問題はたくさんある。   それをどうするかが内閣の問題だと私は思う。

なぜ虐待が増えるのか

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  なぜ児童虐待が増加するのだろう。  現代の両親はなぜ虐待を平気でやるのだろう。  まず母親の方だが、変な信仰宗教から水行だと言われて、子供が何も悪くしたことがないのに。子供に何の恨みがあってそのような冷たい水をぶっかけたり熱湯をかけたりするのだろう。  母親にとって子供はおなかを痛めた子である。  それなりの情があって当然ではないか。  父やにしてもそうだ。  例えばなぜ自分の子供に性的虐待をするのだろう。  子供が出来たときはあんなに喜んでいたのに。  赤ん坊が泣き止まないとかで......。  赤ん坊は泣くのが仕事だ。泣いて色々な事を知らせる。  なのに癒すはおろかぶったり蹴ったりして。  そしてその中を子供はどんどん成長する。  言葉を覚えて色々な事が起きても虐待は続く。  以前はごくわずかな人がしていたかもしれないが現代ではますます虐待が増える一方である。  子供が出来て成長したら誠実な心で正しい躾をできるはずなのに。  なのに今の大人は子供に対してあまりにも無情である。  特に子供が大きくなっても何も言えない、あるいは相談することが出来ないというケースが増加している。  結局児童相談所が法律のままに動くだけだ。  なぜ隣人同士で助け合ったり、協力し合うのが人間の基礎だと思うのに。  大人になっても自分が自分の両親に虐待を受けていたと話せる男女は全く少なく悲しいことである。  核家族化されてそれがますます増えている。  このまま虐待が増える時これからの日本はどうなるのだろう。  子供に対する愛情が薄れる一方ではないか。  虐待を受けた人たちがあまりにも辛すぎる。  子作り一人前、子育て半人前では全くらちが明かない。  それに今の世の中はそうなって人間の格差がますます増えている。  できた人間と子供のまま大人になった人とだ。  これからの世の中は本当に戦後派の人間で埋まる。  人は何のために生まれ社会の中でどう生きればいいのかを教えるのが親ではないか。  しかしそれが出来ない親が今はどんどん増えている。  これでは人間失格どころか崩壊だ。  今の家族に求められているのはそうした罪ではなく悔い改めである。  結論の出ない虐待事件が増える一方ではないか。  今こそ人間らしく生きるにはどうすればいいかを考えるべきところに来ているのではないかと思う。  それがいま問われているのではないか。  あまりにも無関心すぎる。  また継母とか両親の離婚とかでそしたことが多い。  今の大人はもっと遊んでいたいのだろうか。  子供が生まれたらその子のために一生を尽くす気持ちが出来て当然ではなかろうか。  それに昔は存在したいじめなどは子供たちで解決していたが、今の子供はそれが出来ない。  そして親は学校などに当たり散らす。  そうした人生しか今の大人は生きる知恵はないのだろうか。  知恵や知識は虐待するためにあるのではない。  今の若者はそうした世の中を生きているのだろうか。  虐待をしていれば子供は立派に育つのだろうか。  だから今の子供はよりどころがなく自殺に走るのではなかろうか。  これらはまさしく親の監督ふゆきとではなかろうか。  くだらない低俗番組がテレビを通して移る。  危険なまねごとも流行る。  危険ですからと言っても今の人間はそれを平然と見ている。  もっと学びというものがテレビ等ではないのだろうか。  今のテレビ界は視聴率にこだわりすぎる。  もっと人間的なテレビがあってもいいはずだ。  必ずニュースを見るとそういった家族のニュースが飛び込んでくる。  虐待だの、自殺などと。  私はもっと明るいニュースは内かと考えさせられる。  そういう意味ではあまりにも今の世の中が暗くて、悪の道への誘惑が多い。  

参議院選挙について

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 参議院選挙について今回は書いてみたいと思います。  前回は高校野球について書きましたが、やはりこれは選手と監督の問題であって、我々第三者がとやかく言う問題ではないと思います。  それに私は正直佐々木投手のほかにもうそれに続く二・三人の投手を育ててほしいと思いました。  やはり控えの投手は必要だからです。

 

 さて今回の選挙では自民党が過半集を維持しただけに終わりました。  ですが一番私が興味があったのはラジオだけでなくテレビでれいわとNHKのことが気になりました。  なぜテレビでれいわを大きく写さなかったのでしょうか。  少数野党であれ障害者が二人も当選したからです。  これで我々障害者の道も少しは開かれるからです。  やはり少数野党にも自民党が少し議員数をを減らしただけでした。  もっと伸びても野党はよかったのではないかと思いました。  もっと接近するべきだと思いました。  障害者の人が当選したというのは我々障害者から見て目に見える障害者、目に見えない障害者の期待ではないでしょうか。  大阪の知事が議員になったのだからと言いましたが私たち有権者はそういうところに国民の税金を使うべきではないかと私個人は思いました。  もちろん有意義にです。  それから国会はどんどん変わるでしょう。  これからの国会は戦後派の議員で埋まるからです。  戦後派の国会議員が、戦争を知らない議員がどのような答弁を繰り広げるのかが大きな見ものだなと思います。  また少数野党で特にれいわなどはもっと大きく報道されてもよかったのかんと思います。  私も障害者の一人ですがこの二人が国会でどのようなことを政府に言うか期待しています。  障害者が一般社会に打ち広められるような答弁をしてほしいからです。  また政府もそれに誠実に、謙虚に答えてほしいと思います。  二人しかいないれいわですけれども私は大きな期待をしています。  少数野党の中でどうか頑張ってください。  政治はとても難しいことですし、それに人を動かすことはもっと難しいことだと思いますがどうか頑張ってください。  やはり私が気になるのは憲法九条と戦争放棄の問題です。  それを戦後派の議員がどのような答弁をするか見ものです。  戦争は人間同士の醜い殺し合いです。  そんなものに誘惑されないような国会議員に皆さんになってほしいです。  もちろん与野党問わずです。  あの丸山議員の言葉が飛び出さないように気を付けてください。  あれはまさしく国会議員として失言以上のものだと私は思います。  どうか議員の皆さんは有権者の声に誠実な国会運営をしてください。  開かれた国会を期待しています。  特にれいわの二人には頑張ってほしいですね。  目に見えない障害者が期待しているからです。 

 おそらく障害者で選挙に行けなかった人もたくさんいたでしょう。  そういった人が選挙に行けるようにしてください。  また字の書けない有権者もいますからその人たちをどうすればいいかを議論してほしいですね。  国会は外交問題はもちろん国内の問題も山住だと思います。  その反面、大変だと思いますが目の届くところまで有効に税金を使い国民のために議論を交わしてください。  お願いします。

張本さんの言葉  続き

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 昨日張本さんの話を書きましたが、言葉が足りなかったならあしからず。  結局は自分自身の問題なのですよね。  人がああ言ったからああだのこうだのと我々第三者が言える立場じゃないのですですよね。  つまり張本さんは過去色々な経験や体験を通して話されていることでその業績は素晴らしいものです。  そうした業績のもとに己の言葉を語っているのですから人生の重みを感じます。  今回は批判の声が多かったですが、古いだの新しいだのと我々は何も言えないと思います。  だって張本さんと同じ経験や体験を通して同じような業績を積み上げた人間ではないからです。  現代人は新しいモノ好きです。  新しいものに、あるいは言葉に振り回されます。  つまり我々現代人は新しい言葉の誘惑に弱いということです。  本当の大人なら我々はもっとしかっりとした考え方で見まがえると思います。  きちんとした言葉で相手の話を受け入れられるはずだからです。  我々現代に生きる人間として本当の大人なら張本さんの意見をもっともっと受け入れられるはずです。  そこに現代人の欠点があるのではないでしょうか。  今の我々が張本さんの過去の業績に勝てるわけがありません。  選手起用だって監督の言うことを聞いて動くしかありません。  監督は高校野球で選手として出られますか?  出られないでしょう。  選手が監督の言うことをよく聞いてバッターとして、ピッチャーとして動くのです。  出さないからおかしいと確かに張本さんは言いました。  私も出てほしかったです。  でも私は張本さんに対して張本さんを批判はしません。  張本さんは自部だったらとしていったからです。  おそらく張本さん自身が大船渡の監督だったらかなり考えたのではなかったのではないでしょうか。  おそらく張本さんだから一球だけでもいいから先発させて投げてこいといったかもしれません。  選手がパンク寸前でもその限界と闘わせたいからです。  そして体に野球の厳しさを教えたかったかもしれません。  張本さんだって一人の人間です。  選手の疲れは知っているはずです。  でもそこに試練があるのではないでしょうか。  その試練を追い越させるために話されたのだと思います。  また選手はそれにこたえなければなりません。  勝負ですから勝か負けか二つに一つです。  おそらく無理はさせなかったと張本さんだってわかっていたはずです。  それを全部分かったうえでテレビでああいった言葉を発したのではないでしょうか。  そこのところを視聴者は組まないといけないのではないでしょうか。

張本さんの言葉

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  私は張本さんの言葉にはいろいろな意味が含まれていると思います。  皆さんはなぜか張本さんのただ一言だけでいろいろな批判めいた言葉を宣べていますね。  私は張本さんの言葉には新しいも古いも関係ないと思います。  現代野球は張本さんの考え方とは違うんだとか、あるいは根性論だけを盛んに取り上げていますね。  なぜ今の人はそうした張本さんのうわべだけしか見れないのでしょうか。  張本さんの本当の高校野球に対するねらいをもっともっと深く考えるべきだと思います。  新しい考え方はこうであるからこうだとかではないと思います。  なぜ現代人は古いなどというのでしょうか。  そして選手が怪我をしたらどうしたらいいのかと悪い方ばかりに偏っていると思います。  新しいも古いもありません。  なかなか現代人は古い良いものをなかなか受け入れない考え方が浮き彫りになってきます。  今は先発、中継ぎ抑えとプロ野球はいろいろありますが、高校野球は違います。  確かに高校野球はアマチュア精神にのっとったものだと思います。  連投に連投を重ねれば確かに心配になるでしょう。  それは最もだと思います。  当然疲れてもしかしたらと考えがちです。  それは人間なら当たり前だと思います。  しかし高校野球をしているみんなはそうは思っていないと思います。  一年生から三年生までが甲子園を目指してチーム内のライバルと闘っていると思います。    投手から安まで全員がです。  高校野球は彼らのあこがれであり夢です。  それをマイナスに考えて怪我をしたらとそればかり考えていたら全然前へはなかなか進みません。  そこに今の現代人のひ弱さがあるのではないかと思います。  確かに今の野球は昔の考え方とは違っています。  張本さんはもう七十を超えています。  サンデーモーニングを見たわけではありませんがなぜ張本さんの経験や体験を混ぜて語ってくれていますよね。  なぜ今の現代人はその言葉を受け入れられないのでしょうか。  張本さんの言葉の意味やねらいはどこにあるのかをよく吟味していろいろツイートしたりすべきではないでしょうか。  今の考え方と古きよきものをなぜ共有できないのでしょうか?  張本さんは昔の根性論だけを語っているのでしょうか。  怪我などはスポーツをやっている限りつきものです。  それならなぜ今の現代人は怪我に気を付けないでいるのでしょう。  怪我に強い負けない体作りをすべきではないでしょうか。  たとえ怪我をしてもそれが軽くて済むような練習を今はしているのでしょうか。  私は思います。  今の現代野球はあまりにやさしすぎます。  それに日本にはいろいろな言葉がありますよね。  特に外国から入ってきた言葉を得意げに話します。  やれセクハラだのパワハラなどです。  それを得意げに今の現代人は使っています。  傷つけるだのです。  それに負けない悔しさを身に着けさせるべきではないでしょうか。  野球はスポーツですから日本国中の球児たちがだれでも高校野球で日本一になるために頑張っています。  そこに張本さんは目をつけているのではないでしょうか。  確かにピッチャーが連投に連投を重ねれば肩を壊す恐れもありますがそればかり考えていては前へ進みません。  それではどうすればいいのでしょうか。  だから私は言っているのです。  投手にしても野手にしても怪我に負けないぐらいの練習をせよというのです。  それをせずにスポーツは成り立つでしょうか。  その辺のスポーツの基本を今の現代人は忘れているのではないでしょうか。  例えばすぐ手を出せば暴力だ、暴力だのと騒ぎます。  本当の暴力とは私は心に故意に憎しみを持ち相手に恨みやつらみなどを存在させて成り立つものだと思っています。  心に愛情がある暴力は私は暴力ではないと思っています。  それはスポーツ界でも同じことは言えると思います。  言葉だけで何でも解決できるものとそうでないものがありますよね。  言っても言ってもなかなかわからない人にはどうすればいいのでしょうか。  ほったらかしにしておけばいいのでしょうか。  そこがポイントだと思います。  高校野球などは自分から進んで体に野球にしみ込ませねばなりません。  それを監督はどう教えればいいのでしょうか。  彼ら球児たちにそれを今の選手たちに教えないといけません。  高校野球はこういうものだと誠実に教えるものだと思います。  張本さんは昔も今もなくそこのところを訴えたかったのではないでしょうか。  野球はピッチャー一人でやるものではありません。  野球は全員でそれに控えの選手と全員でやるものではないですか。  ベンチには入れるのは高校野球ン場合は確か十五人までと言われますね。  そうです。その選手全員でやるべきスポーツだと思います。  血と汗を流した選手だけが選ばれるのです。  一年生から三年生までが血のにじむような練習をしたからこそ選ばれるのではないでしょう。  ベンチには入れた選手は入れなかった選手の分まで頑張らなければいけません。  それで大会の本線へと進むのではないでしょうか。  私は思いますが昔の高校野球と今の句高校野球は全く違うように思います。  今の高校野球はレベルアップはおろかレベルダウンをしているように思います。  何かそこのところに今の高校野球の格差があるのではないでしょうか。  選手にも自分自身にもっと厳しさがあってもいいのではないのでしょうか。  昔の高校野球には強さと厳しさがありましたが現代の高校野球にはそれを感じさせられません。  テレビを見ていいて私はそれを感じます。  将来があるのだから野球というものを体にもっともっとしみ込ませるべきだと思います。  だからこそ怪我に強い体作りをしないといけないのです。  それに今は暑さに負けて熱中症なるものがありますが昔はそんなものは全くありませんでした。  異常気象もありますがそれに負けない体作りも大切ではないのでしょうか。  根性、根性と今の人は騒ぎますがその上にあるものを目指せと訴えているのではないでしょうか。  張本さんの言いたいことはその辺にあるのではないでしょうか。  プロ野球に入る人にもいれば一般の会社に入社する人もいるでしょう。  そんな自分の将来のために彼らは高校野球をやっているんではないでしょうか。  そして高校野球を通して、「生きる。」を学んでいるのではないでしょうか。  人はうわべだけの言葉に惑わされてはいけません。  肝心なのはその中身です。  それを張本さんは言いたかったのではないでしょうか。  私は張本さんの言葉にもっともなところがあると思います。  何も見方をしているわけではありません。  将来ある体なのだから体を大切に、健康管理をしっかりやって野球に取り込めと言っているだけなのです。  ほかにもいっぱい書きたいことはありますが長くなるのでこの辺で。