なぜ虐待が増えるのか
なぜ児童虐待が増加するのだろう。 現代の両親はなぜ虐待を平気でやるのだろう。 まず母親の方だが、変な信仰宗教から水行だと言われて、子供が何も悪くしたことがないのに。子供に何の恨みがあってそのような冷たい水をぶっかけたり熱湯をかけたりするのだろう。 母親にとって子供はおなかを痛めた子である。 それなりの情があって当然ではないか。 父やにしてもそうだ。 例えばなぜ自分の子供に性的虐待をするのだろう。 子供が出来たときはあんなに喜んでいたのに。 赤ん坊が泣き止まないとかで......。 赤ん坊は泣くのが仕事だ。泣いて色々な事を知らせる。 なのに癒すはおろかぶったり蹴ったりして。 そしてその中を子供はどんどん成長する。 言葉を覚えて色々な事が起きても虐待は続く。 以前はごくわずかな人がしていたかもしれないが現代ではますます虐待が増える一方である。 子供が出来て成長したら誠実な心で正しい躾をできるはずなのに。 なのに今の大人は子供に対してあまりにも無情である。 特に子供が大きくなっても何も言えない、あるいは相談することが出来ないというケースが増加している。 結局児童相談所が法律のままに動くだけだ。 なぜ隣人同士で助け合ったり、協力し合うのが人間の基礎だと思うのに。 大人になっても自分が自分の両親に虐待を受けていたと話せる男女は全く少なく悲しいことである。 核家族化されてそれがますます増えている。 このまま虐待が増える時これからの日本はどうなるのだろう。 子供に対する愛情が薄れる一方ではないか。 虐待を受けた人たちがあまりにも辛すぎる。 子作り一人前、子育て半人前では全くらちが明かない。 それに今の世の中はそうなって人間の格差がますます増えている。 できた人間と子供のまま大人になった人とだ。 これからの世の中は本当に戦後派の人間で埋まる。 人は何のために生まれ社会の中でどう生きればいいのかを教えるのが親ではないか。 しかしそれが出来ない親が今はどんどん増えている。 これでは人間失格どころか崩壊だ。 今の家族に求められているのはそうした罪ではなく悔い改めである。 結論の出ない虐待事件が増える一方ではないか。 今こそ人間らしく生きるにはどうすればいいかを考えるべきところに来ているのではないかと思う。 それがいま問われているのではないか。 あまりにも無関心すぎる。 また継母とか両親の離婚とかでそしたことが多い。 今の大人はもっと遊んでいたいのだろうか。 子供が生まれたらその子のために一生を尽くす気持ちが出来て当然ではなかろうか。 それに昔は存在したいじめなどは子供たちで解決していたが、今の子供はそれが出来ない。 そして親は学校などに当たり散らす。 そうした人生しか今の大人は生きる知恵はないのだろうか。 知恵や知識は虐待するためにあるのではない。 今の若者はそうした世の中を生きているのだろうか。 虐待をしていれば子供は立派に育つのだろうか。 だから今の子供はよりどころがなく自殺に走るのではなかろうか。 これらはまさしく親の監督ふゆきとではなかろうか。 くだらない低俗番組がテレビを通して移る。 危険なまねごとも流行る。 危険ですからと言っても今の人間はそれを平然と見ている。 もっと学びというものがテレビ等ではないのだろうか。 今のテレビ界は視聴率にこだわりすぎる。 もっと人間的なテレビがあってもいいはずだ。 必ずニュースを見るとそういった家族のニュースが飛び込んでくる。 虐待だの、自殺などと。 私はもっと明るいニュースは内かと考えさせられる。 そういう意味ではあまりにも今の世の中が暗くて、悪の道への誘惑が多い。